10年で何が変わったのか

2008年1月末にボローニャに初めて降り立ってから今年で10年になりました。

たまたま選んで来たボローニャに最終的に住む事になろうとは、その時は全く想像すらしておらず人生って何が起きるかわからない。と改めて思います。

この10年で私も色々な変化がありました。

何もわからないままイタリアのボローニャに来て、とりあえず手探りで色々な事をして、それなりには努力をしつつ、周りの方に沢山助けて頂きながら、ここまで来ました。

この頃、日本では海外に出る人が少なくなっていると聞きますが、それが残念でなりません。

日本に住んでいれば周りがほぼ日本人で (今はすこしずつ海外の人も増えてますが) 、自分と同じ人種に混じっていれば特に不自由なく暮らしていけると思うのですが、海外に出る事で色々な国の人と接して、色々な文化と習慣を知る事により自分の考え方がどれだけ狭かったのかを改めて知る事で人にも優しく、心が広くなっていくのだと思います。

私もここに住むようになってからかなり心に余裕が出来ました。

日本が常識だと思って暮らしていると、ここではストレスになって暮らしていけません。

特に私はアパレルに関わっている中で、日本の常識をイタリアに押し付ける事では仕事にならないという事にも気づきます。

何を基準に考えるか、なのですが、日本は相当きちんとしている国で、それは世界の中では常識ではないという事です。

アパレル、特にこのように感性が大きく影響してくる仕事に関して常識というものはないに等しいですし、きちんとという言葉も勿論当てはめられません。

常識という枠にはめ込んでしまえば、感性は失われます。

アパレルに携わってイタリアと日本の大きな差に気づきます。

勿論、文化と習慣も違うのですでに、好まれるテイストも違うのですが、それ以前にファッションという物の考え方が違います。

私が日本でデザイナーをしていた時、日本ではデザイナーは必要ないと思いました。

日本の企業デザイナーはデザインをするのではなく、その時売れる物をいかにうまくパクれるかが重要です。

日本ではシンプルな物の方が好まれる傾向にあり、相変わらず日本で某ユニクロの売り上げが良い事もそれを顕著に表しているのではないかと思います。

イタリアの卸問屋を見ていると、本当に色々な物があります。

勿論沢山売れる方が良いに決まっていますが、全く売れる事を考えていない、かなり個性的な商品もあり、いつもどんな時も攻めてると感じます。

これは身に着ける側の個性の多様性がある事で、作る側も思い切った物が作れるという事です。

日本のように、端から端まで流行っていたら同じものが並ぶという現象はありません。

日本の消費者は世界の中でも一番早くトレンドを取り入れていると思います。

イタリアはファッションの国とは言いますが、それに比べたら全然遅いです。

でもトレンドを身に着ける事がおしゃれという感覚ではなく、自分の好きな服を好きな時に身に着けるのがイタリアのおしゃれな訳です。

勿論、日本の服の歴史はまだまだ浅いですし、このような考え方に追いつけるかといったら追いつける訳もないのですが、日本ももう少し感性や本能を大事にする事が出来れば良いのにと思う事があります。

 

と、このようにここに暮らして周りを見渡していると色々な事に気づく事が出来ます。

(本当はもっと書きたい事は山ほどありますが、ありすぎてまとまらないのであえて書きません笑)

そうする事で自分の中の選択肢がどんどん増えていき、世界が広がっていくのだと思います。

 

これからの10年どうなっていくのか全くわかりません。

ただ、毎日種まきをする事、たった1個の種だけしか蒔けなかったとしても後々何かに繋がります。

私は今年、今まで少しずつ蒔いてきた種がちょーっとずつ芽を出してくれた事で、今年はそれをもっと大きく出来ればと思っています。

年を重ねれば重ねるほど体も今まで以上に動かなくなる上に(リアル笑)、ちょっとした変化が怖くなります。

10年前何も知らずにイタリアに来た私の行動力は、今思えばなんて無謀な事をしたんだろうと自分でもびっくりです(笑)

ですが、これからも変化を恐れず、年相応に少しづつでも進んでいこうと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください